オパーサの浜。
寄せては返す波。
そこに、彼女は立っていた。
沖を見つめる蒼い眼。
潮風に長い金髪を遊ばせ、口元にはうっすらと笑みを浮かべて…。
テルミナでの用事を終えたセルジュは、昨日オパーサの浜で倒れたのが気になって、真っ直ぐに村へ帰ることをせずにそこへ立ち寄った。海辺のアルニ村を出たのは今朝のことだというのに、潮の匂いが懐かしさを誘う。波の音、潮風のささやきを子守歌にして育ったのだ。
オパーサの浜。そこはセルジュの思い出の場所だ。幼い頃、そこで溺れかけたのだという。レナとの大切な約束の場所でもある。だが、今のセルジュには、それだけでなく何かもっと大切な場所に思えていた。
「星の塔…フェイト…？」
昨日、倒れたあと口にしたという言葉を、もう一度口にしてみる。それは何を意味するのだろうか。その手掛かりを求めて、セルジュは一人、オパーサの浜に足を踏み入れた。
―――誰？
地元の者しか足を向けることのない、この寂しい浜辺に、見知らぬ少女が一人立っていた。じっと沖を見つめているらしい彼女のワンピースの裾が、潮風に緩くはためく。
セルジュはドキリとした。少女が突然、振り向いたのだ。少女はセルジュの姿を認めると、その薄く紅い唇の端を上げ、柔らかに微笑んだ。その笑顔には見覚えがある。まるで、何度も何度も目にしたような笑顔だ。
―――誰？ 前にどこかで会った？
「あなた、近くの人？」
セルジュが問うより先に、少女がセルジュに声を掛けた。
「…そうだよ。この先のアルニ村に住んでる…君は？」
戸惑いながらもセルジュは問い返した。
「私、キッド。大陸から蛇骨祭を見に来たの。ここの海はきれいねぇ…」
少女はまた笑顔を浮かべた。
「なんで、テルミナから、こんな辺鄙なとこまで来たのさ？」
それは当然の問いだった。観光名所であるガルドーブ島ならともかく、蛇骨祭の行われているテルミナから、観光客がこんな所まで来るのは不自然だ。だが、キッドと名乗った少女は、さも可笑しそうにクスクスと笑った。
「ただ、来たかったからよ！」
思いがけない返答に、セルジュはわずかに頬を染め、口をつぐんだ。それ以上なんと言っていいのかわからずに、セルジュはキッドから目を反らすようにして沖に目を向けた。だが、キッドは後ろに両手を組み腰を少しかがめて、セルジュの顔を覗き込むように見た。
「ねぇ、あなた名前は？」
「なんだっていいだろ！？」
からかわれているような気分になったセルジュは、ちょっと口を尖らせ、そっぽを向いた。途端に、キッドの表情が変わった。
「なんだよ！ このキッド様が下手に出てんのに、その態度はなんだぁ？」
セルジュは驚いて目を瞬（しばたた）いた。キッドは怒鳴ってしまってから、しまったと言うように頭を掻いた。
「やべっ。またやっちまった。姉ちゃんにあんだけ言われてたのに…」
そう言って、キッドはきまり悪そうに少し頬を染めてセルジュを見た。
「姉ちゃんにさぁ、こんな服着て大人しくしてたら絶対美少女に見えるから、って言われてたのによぉ…失敗失敗！」
セルジュは絶句した。キッドはクックックと笑った。
「ま、いいや！ な？ 今更、無理したってしょうがねぇもんな？ で、名前、なんてぇんだよ？」
「セ・セルジュ…」
セルジュは後退った。キッドは腕組みをしてセルジュを見つめた。
「そうか。セルジュか。いい名前じゃねぇか。まったくよぉ、最初から大人しく返事してれば良かったのに…いきがるんじゃねぇよ！」
セルジュは思わず頭を抱えた。キッドはお構いなしにへらへら笑っている。
「なぁ、オレ、明日はゆっくりテルミナ見物の予定なんだ。おまえさぁ、さっきの非礼のお詫びに、案内しろよ。」
「え？」
セルジュがガバッと顔を上げる。
「え？ じゃねぇよ。こーんな可愛くてか弱い女の子が一緒に行ってくれって言ってんだぜ？ な？ 決まり！」
「えー！？」
セルジュの反論も空しく、事は決まってしまった。
―――なんだか、ずっと前にもこんな事があったような…。
強引にキッドに同行することになったセルジュだが、不思議とそれほどいやな気分ではなかった。キッドの威勢のいい言葉も、その蒼い眼も、金髪も、セルジュの胸の内にすとんと落ちた。
「あ！」
再び海を見つめていたキッドが、突然、セルジュを振り向いた。セルジュは驚いて身を引いて、勢い余って尻餅をついてしまった。
「なにビビってんだよ」
キッドが笑って、手を差し伸べる。蒼い空、蒼い海を背景に、キッドの手が差し伸べられる。ふいに優しい笑みを浮かべて、キッドの白い手がセルジュの目の前に伸びてくる。
―――いつか、確かにこんな事があった。こんな風に優しい目をした少女が、僕に手を伸ばす。
セルジュは、じっとキッドを見つめた。キッドも何かを思い出したように、差し伸べた手を途中で止める。
「なんで、ここに来たのかな…オレ、自分でもよくわかんねぇんだ。テルミナから、なんかに呼ばれるみたいに歩いてきたら、ここに来てた」
差し伸べた手を引っ込めて、その手をしげしげと自分で眺め、キッドは呟くように言った。
「セルジュ…大陸に来た事あるか？」
セルジュは腰の砂を払って立ち上がりながら、ゆっくりと首を振った。
「…そうか…そうだよな…」
怪訝そうな顔のセルジュに、キッドはニッと笑って見せた。
「なんかさ、前にもおまえに会ったことある気がしてさ…でも、大陸じゃねぇ…あの蒼い海と空は、大陸とは違う…こんな空と海の場所で、こんな風におまえに手を出してさ…あれは、どこだったのかな…」
キッドは腰に手を当てて頭を振った。セルジュも黙って頷く。二人とも、もう気付いていた。お互いに同じ感覚を抱いていることに。
キッドは空を仰いで、もう一度軽く頭を振った。
「ま、いっか！ そのうち思い出せるさ！ な？ 一緒にいれば、きっと思い出すさ！」
それはセルジュにと言うより、自分自身に言い聞かせているようだった。
「な？ セルジュ！」
キッドの言葉に、まるでそれが定められていたかのように、セルジュは静かに頷いた。
FINE．
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