　その日、セルジュがカーシュとイシトをパーティーに呼んだのは、日も落ちて暗くなってからだった。そうして、アナザーテルミナの宿屋に、各々のための個室を取った。
「遅くにごめん。迷ったんだけど、やっぱり明日は、カーシュとイシトに一緒して貰うことにした…。明日は忙しくなるかも知れないから、今夜はゆっくり休んで。」
セルジュは、ちょっとすまなそうに二人を見た。それから、意を決したようにカーシュに声を掛けた。
「カーシュ…。ちょっと、いい…？」
セルジュはカーシュだけを自室に招いた。イシトはちょっと怪訝な顔をしたが、セルジュの困ったような顔を見て、黙って自室に下がった。話の内容が気にならなかったわけではない。だが、必要ならカーシュがあとで話してくれるだろう、と彼は思った。その日、セルジュはグレン、ファルガと共に、星の塔攻略の手掛かりを求めて、ホームを探索していたと聞いた。あるいはグレンのことで、カーシュに何か話しているのかも知れない。イシトはそう考えて、夜着に着替えるために、衣服を脱ぎ始めた。上着を脱ぎ、装備していたデナドロガンをテーブルに置く。イシトがシャツのボタンに手を掛けたとき、突然ドアが開けられた。カーシュだった。カーシュは何も言わずに、ズカズカと室内に入って来た。イシトは苦笑した。
「おい、ここは私の部屋だ。ノック位してくれないか。」
だが、カーシュは無言のまま勢いを付けて、仰向けにベッドに倒れ込んだ。イシトは小さく溜息をついた。
「…そこは、私のベッドだと思うんだが…。」
それでもカーシュはベッドに横になり、顔を隠すように、両腕を眼の辺りに押しあてて黙り込んでいた。さすがにイシトは心配になった。彼は服を脱ぎかけなのも忘れて、ベッドの端に腰掛けた。
「カーシュ…。何かあったのか…？」
イシトは覗き込むようにしてカーシュに声を掛けた。
「セルジュの話が、原因なのか？」
カーシュは、やっと顔から腕を外し、イシトを見上げた。
「…ダリオが…見つかった…。」
絞り出すようなその声は、彼が喜んでいるのか、困惑しているのか、驚いているのか、図りかねた。おそらく、そのどれもが含まれているのだろう。だが、イシトはカーシュの眼に、もっと複雑なものを見て取った。
「それは…良かったというべきなんだろうな。君の親友だ。…セルジュの話というのは、その事だったのか…？」
カーシュは起きあがって、イシトの隣に腰掛けた。
「ああ…。ホームの方だがな。離れ小島に瀕死で流れ着いたのを助けられたらしい。だが、記憶を無くしてて、グレンが…世界が違うったって、弟のことがわからねぇんだ、でもよ、リデル様を連れてったら、反応があったんだって…。それで、想い出の品を見せればって事になったんだけどよ、そいつをソルトンとシュガールのヤツが持ち出しちまって、亡者の島に、俺を連れて来いって言うんだ。」
イシトが頷いた。
「明日、忙しくなるかもって言うのは、そういうことか…。」
「ああ…。」
カーシュは、広げて床に着けた自分の足の間に深く頭を垂れ、前髪を掻き上げながら、溜息混じりに言った。明らかに乗り気ではなさそうだ。イシトは思った。カーシュはリデルのことを考えているのか。これで、再びリデルは、カーシュの手の届かない存在となるのだ。イシトは呟いた。
「…みんな、喜んでいるんだろうな…。」
カーシュが、頭を垂れたまま、首だけ回してイシトを見た。
「ああ、もちろんだ。リデル様も、蛇骨様も、グレンも、ゾアも…俺だってな…。」
「ああ。そうだね…。」
イシトはカーシュの肩に手を掛けて微笑みかけた。
「わかってるよ。」
カーシュはイシトの言葉に誘われるように、身体を起こしてイシトを見つめた。イシトは、カーシュの顔を覗き込むようにして優しく言った。
「…今度は私が言う番だな。…わかってる。わかってるよ、ちゃんと。君が本当に喜んでいるって事は…。ちゃんとわかってる。」
「イシト…。」
カーシュがイシトを見上げた。イシトはそっとカーシュの肩を叩いた。
「そして…少しだけ寂しく思ってることも…。」
カーシュは黙って小さく頷いた。その伏せられた瞼を見下ろしたイシトは、意外に長いその睫毛を、何となく痛ましく思った。イシトは、囁くように言った。
「…泣いていいぞ…こんな時には、何も恥ずかしい事じゃない…。」
だが、カーシュはイシトの手を振り払った。
「バカぬかせ！そんなこと出来るか！」
カーシュは怒ったように向こうをを向いた。
「…意地っ張りだな…。」
イシトの言葉にムッとして振り向いたカーシュは、自分を見つめるイシトの心配そうなまなざしとぶつかった。カーシュの胸に、一時に様々な想いがこみ上げてきた。
「イシト…。」
カーシュはイシトの方を向いたまま、ゆっくりと頭を垂れた。
「少しだけ…肩を借りる…。」
カーシュはイシトの肩に額を載せた。イシトは自分の肩に、かすかな震えを感じた。表情は見えない。声も聞こえない。だが、イシトは知っていた。カーシュは心で泣いている。行き場のない想いに自分で決着をつけるために。
　リデルが好きだった。それは今でも変わらない。だがその想いは、すでに自分のうちで昇華されていたような気がする。自分は彼女の心を欲してはいない。彼女が癒され、幸せになることが望みだ。ずっと見つめてきた。見守ってきた。おそらくもうすぐ、その務めは終わる。そうだ、それが少し寂しいだけだ。カーシュは自分に言い聞かせた。そうして、カーシュはイシトの肩に額をつけたまま、呟くように言った。
「イシト…。明日になればわかることだろうが、おまえには言っておく。ダリオは…噂通り、俺が亡者の島で手に掛けたんだ…。」
イシトはさすがに少し驚いたような顔をした。
「グランドリオン…あの血塗られた剣に支配され、リデル様まで、その刃にかけようとしたあいつを、俺は…。」
カーシュは頭を起こし、少し顔を歪めた。
「そうか…グランドリオンに…。」
イシトが合点がいったと言うように、小さく頷く。だが、カーシュはゆっくり首を振った。
「だが、本当にそれだけなのか…。俺は本当はダリオをねたみ、憎んでいたんじゃねぇのか…。」
「カーシュ！」
イシトがカーシュの肩を掴んだ。カーシュは再び、頭を垂れた。
「リデル様のことは、いいんだ。もうとっくにわかってたことだ。あの人は俺のものにはならねぇって。それより…俺は怖かったんだ…。ダリオに会うのが…。亡者の島に行くのが、本当は怖かったんだよ…。」
イシトはかけるべき言葉を見いだせず、ただ、痛ましげにカーシュを見つめた。彼の抱えていた苦悩はこれだったのだ。なんと重い苦しみを、彼は一人で抱え込んできたのだろう。イシトはカーシュの肩を掴んでいる手に力を込めた。その時、カーシュが顔を上げた。
「ざまぁねぇな。こんなとこ、見られちまってよ…。」
カーシュは苦笑した。イシトは強く首を振った。カーシュは本当に小さく頷いた。
「…だけどよ、俺は逃げねぇぜ。ずっと苦しかった。ずっと、俺は誰かに言ってしまいたかった。けど、口にすればみんな、もっとつらくなる。そう思ってた。だから、これはチャンスなんだ。ダリオも俺もリデル様も、みんなが自由になるための。解き放たれるためのチャンス…。そうだよな？」
それは、誰よりも、自分自身に語りかける言葉だったのだろう。イシトは笑顔を作って頷いた。
「ああ、そうだ…。…それでこそ、君だ。」
カーシュはそれを聞いて、何かを確かめるように、目を伏せた。わかってくれる人がいる。わかり合える存在がある。今、ここに。
　目を上げると、イシトが笑い掛けていた。
「少し飲もうか？付き合うよ。」
イシトが珍しく誘った。カーシュは少し驚いた。
「いいのか？おまえ、もう二度と飲まないって言ってなかたっけ？」
先日、二人で飲んだとき、二人ともひどい二日酔いに苦しめられたのだ。イシトはクスクス笑った。
「少し、と言ったろう？このあいだみたいな飲み方は、二度とごめんだ。」
カーシュも笑った。
「ＯＫ！少―し、な。」
二人はベッドに背をもたせかけて、床に並んで座った。今夜は向かい合って飲むよりも、こうやって並んで飲む方がふさわしく思えた。
　乾杯もなく、飲み始めた二人。カーシュが、独り言のように、ボソリと言った。
「ありがとな…おまえが…いてくれて良かった…。」
イシトは正面を向いたまま、小さく頷いた。カーシュは不思議に思った。何故だろう？本来、こいつは戦うべき相手だったはずなのに、いつの間にか、お互い心を開いていた。属性も性格もまるで逆の二人なのに。どこか似ているところがあるのだろうか。
　遠く離れ、まったく別の道を歩んでいた二人が、今、肩を並べて歩いている。共に笑い、共に泣き、共に飲み語る。共に歩み、共に戦い、共に苦しみ悩む。ずっとこうして歩いていたい。いつか各々の道が、再び離れていくとしても。ここを歩くのは、自分一人ではない。そう思えば、くじけることなく、歩いて行けそうな気がする。
「カーシュ…私は…。…カーシュ？」
イシトが声を掛けたが、返事がない。少し、と言いながら、やはりカーシュは量を過ごしたらしい。見ると、カーシュはコップを手にしたまま、眠りこけていた。イシトは小さな溜息をついたが、笑いながら、そのコップを床に置いた。
「まったく、手の掛かるヤツだ…。」
イシトはカーシュをベッドに抱え上げ、きちんと布団を掛けると、テーブルに置いた自分の上着と銃を手に部屋を出た。カーシュのために取って置いた部屋が空いているはずだった。イシトはドアを閉めながら、小声で言った。
「おやすみ、カーシュ。いい夢を…。」