◇◇◇

「セルジュ。セルジュ、入るぞ。」
イシトが入ると、セルジュはベッドに突っ伏していた。イシトの近付く気配に、ごそごそと眼の辺りをこする。イシトはわずかに目を細め、手にしてきた手桶をテーブルに置いて、中にあったタオルを絞った。
「グレンが、謝ってた…。」
イシトはセルジュの手に、濡れタオルを握らせた。セルジュがのろのろと顔を上げ、タオルを顔に当てる。そうして顔を隠したまま、セルジュはようやくベッドの上に起き上がった。
「…バカだね…ボク…。」
セルジュは顔を拭き、赤くなった頬にタオルを押しあてた。イシトがわずかに眉を寄せる。
「…ボク…イシトみたいなら良かったのに…。」
「何を言ってるんだ…。」
イシトが驚いたようにセルジュを見返す。
「ボクが…イシトみたいに知識があって、大人で、もっと判断力があったら…もっと違う、もっといいように、世界は変わってたかも知れないのに…。」
セルジュはもう一度、ベッドに突っ伏した。
「ボク…イシトみたいになりたかった…。」
思いがけない言葉に、イシトはしばし呆然と、ベッドの上のセルジュを見つめた。セルジュは深々と枕に顔を埋めて動かない。イシトはゆっくりとベッドに腰掛け、セルジュの背を軽く叩いた。
「馬鹿なことを言うんじゃない…。」
「…だって、ボク、バカだよ…。」
イシトは失笑した。
「それが馬鹿なことだよ…。」
セルジュが首を回して、横になったままイシトを見上げた。イシトは少しかがみ込んで、そのセルジュの顔を覗き込む。少し充血したセルジュの蒼い眼は、それでもいつもの深遠さを湛えていた。イシトはその眼を見つめ、微笑んで見せた。
「私の方こそ、君になりたかったかも知れないよ…。私は…もう、すでにこの手を汚している…。君の、その深い色の眼を見るたびに、こうなる前の自分に、還りたいような気がしていた…。」
セルジュは驚いたように、半身を起こしてイシトを見返した。
「迷っている…今でも、迷っている…。軍に背き、持ち場を離れ、自分の信念のために動きながら、やっぱりまだ、迷っている。これで良かったのかと。"凍てついた炎"のためだと、そういう自分を納得させてみるが、迷いは消えない。"凍てついた炎"を眼前にしたとき、私は一体どうするのだろう？私も、君と一緒。手探りで進んでいる。」
セルジュはベッドの上に胡座をかき、手にした濡れタオルを玩びながら黙り込んでいた。イシトも俯き、自分の手のひらを見つめた。無数の銃弾を発した、その手。任務の名の下、血塗られたその手。
「ごめん…。」
セルジュがぽつんと口にした。
「イシトに、イヤなこと考えさせちゃったね…。ボク…やっぱりバカだ…。」
「セルジュ…。」
イシトが痛ましそうにセルジュに眼を向けた。
「そんなこと、気にするんじゃない…。君はまだ１７だろう。そんな気遣いをすることはないよ。…君は私を大人だと言うが、君よりたかだか９年多く生きてるだけだ。そして、この２６年が、君の１７年に遥かに及ばないと…つくづくと思うよ。」
セルジュは、言うべき言葉を見つけられず、ただ少し困ったようにイシトを見つめた。イシトはクスッと笑った。
「いや、かえって困らせたみたいだ。済まなかった…。だが…本当はわかっているんだろう？君は特別なんだ。どんなに不本意でも。そして…わかってくれているだろう？グレンがどうしてあんなに怒ったのか…。」
セルジュは少し顔を赤らめ、コックリと頷いた。イシトはその頭をクシャクシャッと撫でた。
「いいんだよ。時々はこうしてジタバタしてくれて。…その方が、なんだか安心する。君が…アルニ村出身の、家事手伝いの、１７歳の、ただの少年だと、そう思って、少しだけ、安心するよ…。」
「イシト…！」
セルジュはイシトの胸に頭をぶつけた。その背をイシトが軽く抱える。
「ボク…ボク…イヤだったんだっ！こんなの、ボク…ホントは…ずっと…！」
嗚咽にかき消される言葉を、イシトは黙って受け止めた。セルジュの震える肩をポンポンと叩く。この、まだ華奢な背に、肩に、この星の人類の命運が負わされている。なんと残酷な事だろう。イシトは改めて、運命を恨んだ。
　だがその重荷を、少しでも軽くするために自分がいる。グレンがいる。多くの仲間達がいる。各々、仲間になった動機は異なっても、結局は同じだ。セルジュを助けるためにそばにいる。そばにいる。いつでも。イシトは泣きじゃくるセルジュの背をなで続けた。それだけが今、彼のためにしてやれることだったから。
　やがてセルジュの肩の震えが収まり、ゆっくりとその顔が上げられた。照れくさそうにわずかに紅潮した頬。充血した眼。だが、表情にはいつもの落ち着きが戻り、その口元はかすかに笑みを浮かべていた。
「ありがと…。」
小さな声でセルジュが言い、イシトはもう一度その頭をクシャクシャと撫でた。セルジュは恥ずかしそうに、だが、少しうれしそうに微笑んだ。
「ボク…グレンに、謝ってくる…。」
セルジュはベッドを降りてドアへ向かい、その後ろ姿を、イシトは微笑んで見送った。
　ドアを開けて廊下へ出ると、そこにはグレンの後ろ姿があった。気になって、廊下を行ったり来たりしていたらしい。
「グレン…！」
セルジュの声に、グレンは振り向き、ふくれた顔をして歩み寄った。いきなりセルジュの頬に手を当てる。思わず身を引きそうになったセルジュだったが、頬には湿布が貼られていた。グレンが相変わらずちょっと口をとがらせ、顔を赤くしてセルジュの額を指で軽く小突いた。
「…もう、水くさいことは言いっこなしだぜ。」
セルジュがグレンに湿布を貼られた頬に手を当て、ニッコリと頷くと、グレンはようやくホッとしたような笑みを浮かべた。
「心配掛けて、ごめん。」
セルジュが言うと、グレンは今度はニヤリと笑い、セルジュの頭を脇に抱え込んでげんこつでグリグリと小突き始めた。どうやら自分がよくカーシュにされるコレを、セルジュにしたくて堪らなかったらしい。
「まぁったくよ〜。バカにすんなよな〜。ウジウジ悩んでないで、俺に言えよ、俺に〜。俺はこれでも、おまえより三つも上なんだぞ〜。」
「グレン！痛い！ごめん。悪かったよ〜。グレン。離してよ…。」
セルジュがわざとらしく悲鳴を上げて笑う。グレンも満足げに笑う。それを見て、あとから廊下に出てきたイシトも微笑む。