「…悪いけど、あっちへ行ってくれないか。その顔、見ていたくないんだ…」
ヤマネコの姿をしたセルジュは、返す言葉も無くそこに立ちつくした。もう一度一緒に戦って欲しいと思ったグレン。だが、彼は異形のセルジュに冷たく背を向けた。
「…わかった…」
セルジュはようやくそう言って、グレンの家を後にした。
　ドアの閉じる音に、グレンはハッとそちらに眼を向けた。だが、声さえもヤマネコのセルジュに、彼はどうしても「一緒に行く」とは言えなかった。

−−−−−−−−−−−−−−−−

そう言ってしまったときのあいつの顔、俺はもちろん見てはいない。
八つ裂きにしても飽き足らない、そう思ってさえいるヤマネコの姿をして現れたあいつ。
どうすれば良かったと言うんだ。
背けた俺の背中に、あいつの哀しげな気配だけが伝わる。
どう言えば良かったと言うんだ…。

俺はガキだ。
わかってる。
俺はどうしようもなくガキだ。
納得できない。
認めたくない。
この現実の何もかもを。

ヤマネコが現れてから、何もかもがおかしくなっていった。
蛇骨様も、龍騎士団も―――。
だから俺は動けない。
ヤマネコの姿をしたおまえと、俺は一緒には行けない。
頭ではわかってる。おまえはセルジュなのだと。
それでも許せない。そのヤマネコの姿をした存在を。

どうしてこんな事になってしまったんだ。
俺の心は還っていく。
兄貴がいて、その横でリデル様が微笑む。そばではカーシュ兄ぃの大きな笑い声。
平穏で、幸せで、俺は兄貴のような騎士になるって、それだけを考えていれば良かったのに…。
時は留まってはくれない。俺は自分自身の道を歩き出さなくちゃいけない。後をついて行ける兄貴は、もう、いないんだ…。

兄貴…。
兄貴ならこんな時どうしただろう。
カーシュ兄ぃのように、きっとなんでもない顔して、セルジュに協力するんだろう…。
太陽のように自信に満ちて、いつも正しかった兄貴。
カーシュ兄ぃは「ダリオに似てきた」って言ったけど、それは違う。
俺は兄貴とは違う。
俺は兄貴みたいにはなれない。
俺は俺。
どうしようもなくガキで、バカな俺。

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　グレンは窓の外に目を向けた。随分長い時間考え事をしていたのだろう、外はもう暗くなっていた。グレンは、ダリオ、カーシュと共に訓練に明け暮れた、家の前の空き地に歩み出た。部屋に灯りも点けずにいたので、空き地も暗く、足元もおぼつかない。
　だが、不意に周囲が明るくなり、グレンの足元を明るく照らした。雲間から月が顔を出したのだ。グレンは、ハッとして月を見上げた。
『おまえは月だよ』
そう言った占い師の言葉が蘇った。
「俺は…月…？」
グレンは呟いた。
『暗い夜道を歩く者には、月明かりが必要さ』
　夜、道を失いそうな者には、月明かりがなんと有り難く、うれしいものだろうか。暗い道を照らす月。太陽だけでなく、月もまた迷う人々には必要なのだ。


兄貴には、迷ったりくよくよしたりする人の気持ちは、わからないかも知れない。
でも、俺にはわかるよ。俺も同じだから。
太陽のように輝いていた兄貴。
でも俺は月で良い。
ガキでも良い、バカでも良い。
それでも俺は歩いて行くんだ。
俺は俺として、兄貴とはまた別の、立派な騎士になるために。


　空き地の中央に立ったグレンは大きな溜息をついて俯いた。
「ごめん…セルジュ…」

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　ある日、グレンの家のドアが静かに開く。そこには、自分の姿を取り戻したセルジュが立って微笑んでいる。
「セルジュ…俺は…」
グレンの謝罪の言葉を、セルジュは静かに首を振って制した。
「これ…」
セルジュが差し出したのは龍の剣イルランザーだった。
「グレンなら、きっと使いこなせると思って…」
グレンはじっとセルジュを見つめた。セルジュの眼は、何故こうも澄んでいるのだろう。その眼はグレンの迷いも苦悩も受け入れて、ただただ、蒼かった。
「この剣を持って、一緒に…行っていいか？こんな俺でも…おまえの力になれるか？」
グレンのためらいがちな言葉に、セルジュは微笑んだ。
「ありがとう、グレン。きっと、そう言ってくれると思ってたんだ…」
「ちぇっ、生意気言って…」
グレンは照れくさそうに頬を染め、口を尖らせた。
「これじゃ、どっちが年上かわかんないよな…」
「そんなことないよ。頼りにしてるんだから！」
セルジュもグレンも、本当に久しぶりに晴れやかに笑った。

ＦＩＮＥ．