キッド、キッド、君はそこにいるの？
どうしたの？うれしそうだね。
君が優しく穏やかに笑う。
君が笑うと、ボクもうれしい。
君は微笑んで、ボクに手を差し伸べる。
キッド、キッド…キッド！？
どこへ行くの？
行ってしまうの？
一人で？
待って！
キッド！！
キッド！！！
「…キッド！」
宙に向かって伸ばしたセルジュの手は虚しく空を掴み、力を失って落ちかけ、大きな手に受け止められた。
「小僧！！」
カーシュだった。セルジュはベッドの上で、ハッと眼を覚ました。
「…大丈夫か？随分、うなされてたようだが…。」
「…うん…。」
セルジュはぐっしょりと前髪を濡らした額の汗を、右手の甲で拭い、大きな溜息をついた。
「夢でも見てたのか？」
セルジュは黙って頷く。カーシュが苦笑した。
「…小娘の夢か…？」
セルジュは答える代わりに、夜目にも判るほど顔を赤く染めた。外の灯りが漏れ入り、室内はうっすらと明るい。恥ずかしそうに下を向いて、赤面を隠そうとするセルジュを見て、カーシュは口をへの字に曲げて小さく笑った。
「なんでぇ、ガキのくせして、いっちょまえにテレやがって…。」
カーシュは、そんなセルジュの頭をくしゃくしゃと撫でた。セルジュはベッドの上で膝を抱え、顔を覆い、頭を振った。
「キッドはボクをうらんでるかな…。」
カーシュは驚いたように眼を見開いたが、セルジュはかすかな声で呟いた。
「ダークセルジュに刺されて、血まみれで倒れているキッド…。その姿が、何度も何度も、ボクの脳裏に浮かんでくる…。そのたびに、ボクは叫ぶ。"逃げろ！それはボクじゃない！キッド、逃げろ！"。…でも、いつも同じ。ボクは声を出せない。ボクはキッドを救えないんだ…。」
カーシュは痛ましげにセルジュを見つめた。
「…その夢か…。」
セルジュはまた、黙って頷いた。
「そうして、真っ暗になって、気付くと青い空が見える。沖に天龍の島が見えて…オパーサの浜だ…。キッドが沖を見つめて立ってる。そしてボクを振り向いて笑うんだ。でも、それがまた遠のく…。ボクは追う。でも、捕まえられない。いつもいつも…。」
膝に顔を埋めたセルジュの肩がかすかに震えている。カーシュはフンと息を吐き、げんこつでコツンと、そのセルジュの頭をこづいた。
「バッカだなぁ！そりゃ、小娘がおまえを呼んでんだよ！」
「え？」
セルジュが驚いて頭を上げた。カーシュは鼻でふふんと笑った。
「相手の思いが夢に現れるって言うだろ？きっとおまえに言いてぇんだよ。小娘のこった。"オレのこと、忘れんじゃねぇぞっ、サッサと助けに来い！"ってな。」
それは、いかにもキッドの言いそうな言葉で、セルジュも思わずクスッと笑った。
「…そうかぁ…そうだね…。」
カーシュはやっと笑顔になったセルジュを、優しく見つめていた。セルジュは、そんなカーシュを見上げて笑顔を見せた。
「…ありがと…カーシュ…。」
「へっ…。」
カーシュは照れくさそうにクルリと反対を向いた。いつもはそんな素振りなど見せないが、カーシュはいつもさりげなく周囲に気を配っていた。たいていのことは、彼が豪快に笑い飛ばすと、なんでもないことのように思われてしまう。お父さんみたいだ。口に出すと、絶対に怒鳴られそうなので言わないが、セルジュは密かにそう思っていた。
カーシュはカーテンの隙間から外を見ている。夜明けが近いのだろう。わずかに橙色に染まった陽光が差し込み始めた。その光に照らされて浮かび上がったカーシュの横顔は、だが、いつになく哀愁を帯びて見えて、セルジュはそっとカーシュに近寄った。
「カーシュ…どうかしたの？」
カーシュは、セルジュを振り向いて小さく笑った。
「夢でも…会えたから、良かったな…。」
セルジュは、またパッと顔を赤くしたが、今度は素直に頷いた。
「…カーシュは…どんな夢を見る…？」
セルジュは気恥ずかしさもあり、カーシュに訊ねた。カーシュは口をへの字にした。セルジュは笑った。
「リデル様の夢とか？」
カーシュは、ちょっと考えていたが、また窓の方に顔を向け、ポツリと言った。
「ああ、リデル様。…それからダリオ…。」
「あ…！」
セルジュは考え無しの、不用意な質問を悔いた。リデルを巡ってのダリオとの経緯は、セルジュにも察しがついていた。
「ごめんなさい！」
慌てるセルジュの頭を、カーシュはまたくしゃくしゃと撫でた。
「ガキが変に気を遣うんじゃねぇ。」
カーシュはセルジュの顔を覗き込むようにして、優しげに笑った。
「バカ野郎…これはオレの、とっておきの良い夢なんだぜ…。」
カーシュは、チラリと明るみ始めた窓の方に眼を向け、微笑んで語り始めた。
「オレがいる。ダリオがいる。リデル様と、まだ小さいグレン。…楽しかった…毎日。ダリオがオレに笑い掛ける。小さいグレンと、そばにいるリデル様を指差す。オレとダリオは大笑いしてる。二人で何を楽しそうに話しているのか、目が覚めると何も覚えていない。でも、これだけは判る。ダリオがオレに伝えたいこと。リデル様と、グレンのことを頼むって、オレにそう言ってるんだ。ダリオはオレを信じてくれてる。だから…これは、オレにとっちゃ最高の夢さ。どうか覚めないでくれって、いつも思う…。」
カーシュがサッとカーテンを開いた。朝日がサッと差し込む。薄く薔薇色に染まった空が、夢のように美しかった。
「でもな、いつまでも夢の中にいるわけにもいかねぇしな。」
カーシュがセルジュを振り向いて、いつものように豪快に笑った。だが、セルジュには、その眼がわずかに潤んでいるのが見て取れた。
「カーシュ…。」
「あ？」
セルジュは口ごもった。何か、自分もカーシュに気の利いた言葉を掛けたかったのだが、どうしても思いつけない。彼はやっと一言だけ言った。
「今日も、お天気になりそうだね…。」
君の姿の現れし楽しき眠りの中にて、
君は天上の輝きに満ちてわれを誘う。
哀れ、悲しき夢の目覚め。
君は何処かへ去る。
夢のあとに、われは一人取り残され、
夢の残骸に埋もれ、忍び泣く。
帰り来よ、夢の輝き。
帰り来よ、ああ、あやしき夜よ。
ＦＩＮＥ．
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