ファルコンの甲板上、セリスは手すりに凭れ、美しい金髪を風になぶらせるままに、ぼんやりと遠い山並みを見つめていた。考えまいとしても、心に浮かぶのは仲間の一人ロックの事だった。
　彼は今、コーリンゲンに居る。ついに手に入れたフェニックスの魔石を持って、彼の愛するレイチェルの元に。
　カフカとの戦いで仲間は散り散りになり、ようやくまた出会えたというのに。
　セリスは、その美しい眉を寄せ、ため息を漏らした。
「ロックの所に、行かなくて、良いの……？」
　背後から遠慮がちに掛けられた声に、セリスはゆっくりと振り向いた。彼女と同じく長い金髪を風に乱し、フィガロ国王、エドガー・ロニ・フィガロが、セリスの瞳を覗き込んでいる。
　セリスはその視線を逃れ、また遠い風景に眼を移した。
「……行けないわ……」
「君は、行くべきだと思うよ」
　呟くように答えたセリスに、エドガーは諭すように言った。セリスは背を向けたまま、俯きがちに頭を振った。
「だって……あの人は私なんて必要としてないわ。そうでしょ？　私が……私たちがあの人を捜している間、あの人が追い求めていたのはフェニックスの石……。私は、彼が……仲間が無事だと知って希望を取り戻したのに……私たちの事も、世界の事も、あの人には……」
「セリス……」
　エドガーが、慰めるように優しくセリスの肩に手を掛けた。
「ロックだって……彼だって、あの時、我々が死んでしまったと思って、レイチェルを蘇らせようと必死になる事で、悲しみから逃れようとしたのかも――」
「エドガー……！」
　セリスが振り向いてエドガーを見上げ、寂しそうな笑顔を向けた。
「優しいのね……。馬鹿ね、私……。あなたに忠告されたのに……。初めから、彼には他に大切な人がいるって、判ってたのにね……」
　セリスの唇がわずかに震え、涙をこぼすまいと精一杯見開かれた瞳から、ついに一筋の涙があふれて頬を伝った。堰を切ったように、涙はあとからあとからこぼれ落ちる。
　セリスは、そっとのべられたエドガーの腕に飛び込み、その胸に顔を埋めた。
「私、あなたの言うとおり、あなたを好きになれば良かった……」
　しゃくり上げるセリスの背を、エドガーは優しく撫でた。
「……でも、君はとても綺麗になったよ。もちろん出会った頃も、それは美しかったけれど……」
　セリスは涙を拭い、わずかにエドガーの胸から顔を起こした。
「堅かったつぼみが、少しずつふくらんで色づき、やがて花開くように、君は今、とても匂いやかだ……。ねぇ、セリス。それは、ロックと出会い、彼を好きになったからじゃないのかな……？」
　頬を染めて見上げるセリスに、エドガーは微笑んで見せた。
「行っておいで、セリス。彼の所へ。逃げないで、事実を受け止めるんだ。君のその想いを、そのままにしておいてはいけない。ちゃんと、見届けておいで――」

＊＊＊

　コーリンゲンの町はずれの家を入って、セリスは戸口で足を止めた。レイチェルの眠る地下室で何か大きな力が働いているのを、彼女の魔導力は感じ取っていた。それ以上、進んではいけないと思った。この先は、自分の力の及ばない場所だ。
　セリスは、ただ、地下室で起こっているだろう奇跡の行方の定まるのを待った。

助けてやるって、守ってやるって、いつもあなたは口にしたけど。
馬鹿ね。
常勝将軍と呼ばれたこの私を、守ってやる、だなんて。
馬鹿ね。
助けが要るのは、あなたの方だったじゃないの。

初めて出会ったあの日、私はあなたの中に、何かを見たの。
縛られていた私に、ドアの隙間から差し込んだ光。

あの日、私が見つけたのは、なんだったの？

あなたはいつも、私をただの女の子として扱った。
そう、あの日、私は見つけたの。
あなたに惹かれていく、ただの女の子の私を――。

　やがて、ゆっくりと階段を上ってくる足音が聞こえ、壁の陰からロックが顔を出した。
「……来てたのか……」
　ロックは、セリスの姿を認めると、少しぼんやりとした調子で言った。セリスの眼が、後に続くはずのレイチェルの姿を探していると知って、ロックは微苦笑とでも言うような顔でセリスに笑いかけた。
「行っちまったよ、とうとう……」
「ダメだったの……？」
　セリスの顔が曇る。
　ロックは、肯定とも否定ともつかぬ様子で首を傾げ、目を伏せた。
「行っちまった……。魔石の力で、ほんのちょっとだけ蘇って、ありがとうって、愛してるって、そう言い残して……」
　セリスが黙って俯く。
「俺は、俺にはレイチェルしかいないって、ずっと思ってきた……。死ぬ間際に俺を思い出してくれたレイチェル……一番大切なはずの彼女を、俺は守りきれなかった。俺はどうやってもレイチェルを取り戻さなくちゃならない。取り戻して、やり直したい。好きだって、誰よりも大切だって、言ってやるんだ……そう思ってた……」
　俯いたセリスの肩が震える。
　ロックはそれには気付かず、軽く肩をすくめた。
「それなのに、何でかな……？　思ったよりショックでも悲しくもなくて……ああ、終わったんだなって……」
　ロックはゆっくりと前髪を掻き上げ、苦笑した。
「まるで、レイチェルは、俺をそんな想いから解放するために生き返ったみたいだ……俺は、そうやってレイチェルを苦しめてたのかもな……」
「ロック！　だって、あなたは一生懸命やったわ！」
　慌ててうち消そうとするセリスに、ロックは微笑んだ。
「ありがとう……」
　そんなロックを見つめるセリスの頬を、涙が伝った。
「セリス。君が泣く事はないだろ？」
　少し驚いたようにロックに指摘されるまで、自分が泣いている事に気付いていなかったセリスは慌てて涙を拭った。
「え……！　だって……泣こうと思って泣いてるんじゃないわ。勝手に涙が……」
　ロックは、そっとセリスを抱き寄せた。
「ありがとう……。こんな風に静かに、レイチェルの死を受け止められるとは思わなかったな……。セリス……君のおかげかも知れない……」
「ロック……」
　泣き濡れた顔を上げたセリスの頬に残る涙を、ロックはそっと指先で拭った。
「つらい思いをさせて……ごめん……」
　再びロックの胸に顔を埋めたセリスの背を、ロックはぎゅっと抱き締めた。

レイチェル。
君の事は忘れない。
君は、俺の心に生き続ける。
もう、君を失う事はない。

『心の中のその人を愛してあげて』。
レイチェル。
君には見えていたんだな。
いつの間にか、俺の心に住み始めていたこの子のこと――。

ありがとう、レイチェル。
そして、ごめん。
俺は、この子と生きていくよ――。


Fin.