その日、カーシュとイシトはエルニド海を周遊する某豪華客船内のレストランに来ていた。
「どこもかしこも高級品ってかんじだな・・・」
輝くシャンデリア。敷き詰められた絨毯。
そう呟くカーシュは、珍しく今日は異国の正装に身を包んでいる。
「ここの料理はどれも絶品なんです」
そう言って案内するのは、これもまた同じ黒の正装に身を包んだイシトである。
†††
蛇骨館の厨房へスパイとして忍び込んだイシトであったが、持ち前の料理の腕と
そのセンスで、蛇骨館の人間をすっかりグルメに仕立て上げたのはほかならぬ、イシトだった。
セルジュ達と出会い、仲間として共に闘い終わった後でも、イシトは事あるごとに
蛇骨館に招待され、その料理の腕を披露することになる。
それはまだイシトが蛇骨館厨房でスパイとして勤務していた現役時代。
何でも腕利きの料理人が来たらしいということで、
四天王の一人であるカーシュが蛇骨大佐の晩餐に同席し、イシトの準備したフルコースを食したときのこと。
他の面子が口を揃えて美味いというのに対してカーシュだけは何を出されても顔色一つ変えないのだ。
これはおかしい。
自分は誰が食べても美味しいと云わしめる程に鍛錬を積んできた。
はたから見れば生粋の料理人。
万が一にもスパイだと悟られてはならない。
だがカーシュは美味しいという表情・・・・というよりむしろ、むっつりと、不機嫌そうに料理を口に運んでいる。
それどころか、ちらっとイシトの方を見ると、ふん、と鼻まで鳴らしたのだ。
まさか。
この男は気付いているのだろうか？
自分がスパイだということに？
それとも単に料理が口に合わなかっただけなのか。
もしくは、ただの味音痴か。
スパイとしての職務以外には無関心のはずのイシトが、
何故か探求心を昂ぶらせた瞬間である。
翌朝。大量にマスタードを入れた朝食をカーシュの部屋に用意しているイシトがいた。
各部屋のスパイ活動も兼ねて、進んで朝の給仕を買って出ていたイシトのこと。
重役騎士達の部屋に毎朝の朝食を置いておくのは彼の役目であり、そうした細工をするのはたやすいことだった。
物陰からそっと様子を伺っていると、数分後、猛烈な勢いで扉を開け、走って出ていくカーシュ。
先ほど出てきたばかりの隣の部屋へ駆け込んでいった。
そして何やら訳の分からない怒鳴り声。盛大な物音。
その日は、ささやかな計画を達成した満足感と、昨晩のカーシュの不機嫌さに対する疑問を僅かに残しつつ、
厨房に戻るイシトだった。
†††
「私の顔に何かついてますか」
はっと我にかえると、真顔のイシトと目が合う。
料理が運ばれてくるまでの間、ついぼーっとしていたカーシュは、
あわてて身だしなみを整えた。
つい今しがたまで交わしていた、ダリオとの会話。
髪を梳かされながら、背中越しに抱きしめられ、耳元に囁かれた言葉。
まだ耳元にダリオの声が残っているような気がする。
『レディーを泣かせるんじゃないぞ』
目の前にいるのは、すらりとした、涼しげな顔の料理人。
（レディーってなぁ・・・）
カーシュは心の中で舌打ちした。
この会食を企画したのはほかでもないイシトだった。
男性だというのに、勤務を始めたその日から、何故か騎士団の男たちはかなり色めきだった。食事の誘いが殺到し、オーチャが怒鳴るまで厨房への来客があとを絶たない。当のイシトは全く興味はないというそぶりだった。それが何故、直々にカーシュを誘ったか。
それは、マスタード事件と、その真相を聞かされたダリオが１枚噛んでいた。
「あなたとカーシュさんは、一体どのような関係なのでしょうか」
マスタード事件の翌日、イシトは軍団長のダリオに尋ねてみた。
カーシュがよく出入りしている部屋の主、この男ならばカーシュのことを少しは知っているだろう。
唐突な言葉。イシトに他意はないのだが、カーシュが聞けば慌てるに違いない、その質問。
だが、ダリオは
「さあな。自分で確かめてみたらどうだ」
と、爽やかに返すばかり。
そこでイシトは、例のマスタード事件の犯人は自分だとダリオに告げた。
するとダリオは豪快に笑って、今回の会食を提案したのだ。
カーシュを知るには、まず食事から。一緒に食事にでも行くといい。
そんなダリオの言葉の裏に、既にイシトがスパイだと気付いているニュアンスを含ませなかったのは、何故か。
イシト自身は、誰にも自分の正体を知られていないと内心では自信を持っている。
冷静沈着にしてパレポリでは氷のイシトと呼ばれていた男。内面ではプライドが高く、誰をも寄せ付けようとしない、自分からも寄っていこうとはしない。
それがアカシアの『荒くれ者』カーシュと出会うことで、微妙に変わろうとしている。
ダリオはそのことを瞬時にして悟ったのだ。
パレポリのスパイを摘発するのはいつでも出来る。だが、カーシュに惹かれ始めているこの男を、もう少し見てみたい。
そんな思惑あってのことだった。
そんなイシトがダリオの言葉に習いカーシュを招待したのは、エルニドで５本の指に入るという、この海上レストランだったのだ。
カーシュが慣れない手つきでエスカルゴの殻と格闘している。
「その殻は・・・こうやると、うまく取れるんですよ」
イシトがさりげなく手元の皿で実演してみせる。
「おお！」
ぱっくりと殻が外れ、弾力のある肉が姿を現す。
すかさず口に運ぶカーシュ。
「ん、美味い。美味いぜ・・・」
満面の笑み。
その瞬間、複雑な感情が胸の内に広がる。
どうして、カーシュは自分の料理を美味しそうに食べなかったのだろうか。
何故、このエスカルゴは美味しいのだろうか。
私の料理は不味かったのだろうか。
それとも、私がスパイだと・・・気付いているのだろうか。
それを聞くために、今日はここまで招待したのだ。
だが、いざ聞こうとしても、なかなかタイミングが掴めない。
なんとなく、答えを出すのがためらわれる。
すると、しばらくしてカーシュのほうから切り出してきた。
「えーと・・・・イシト・・・だったよな。この前の料理、美味かったぜ」
一瞬、驚きの表情を隠せなかったイシト。
「ん・・・・？なんか俺、ヘンなこと言ったか？」
「いえ・・・・」
ならば、何故・・・・？
心の中で、問うた。
するとカーシュは、それに気付いたのか。
「ん〜・・・・この前の晩餐のときは、俺、あんましいい顔してなかっただろ？ごめんな」
あのときは、ちょっと体調を崩しててな。２日間ばかし、寝込んだ後だったんだ。
そう言って、ぽりぽりと頭を掻くカーシュ。
「────あの方ですか？」
イシトは、半ば無意識のうちに、そう聞いた。
無論、イシトに他意はない。
今度はカーシュが驚く番だった。
「ん〜。さあな。」
カーシュはそれ以上何も言わない。
でもイシトには判ったような気がした。
強さと優しさを備えた、軍団長。
自分の唐突な質問にも怒ることすらせず、にこやかに返してくれた、あの笑み。
きっと二人には強い絆があるのだう。
二人はそれに気付いていなくても。
きっと二人は愛し合っているのだろう。
愛とは何か────は、よく判らないけれど。
それでも。
おそらく、言葉で「愛」を語り合うことがなくても。
「なんだか────あなたが羨ましい」
素直に、口をついて出た言葉。
長い間自分を支配していた心の氷が溶けていくのを、イシトは感じた。
カーシュは一瞬、眼を見開き、それから苦笑した。
「俺だって、そんな風に素直に言えるお前が、うらやましいぜ」
ザァ・・・ン・・・・
波の音が微かに聞える。
「見ろよ・・・・・・エルニドの島だ」
ガラス窓から見える、小さな灯り達。
前方に見えるのはテルミナ・・・そして、通り過ぎていったあちらの微かな光は、アルニ村あたりだろうか。
エルニド海の周遊も、そろそろ終盤にさしかかっていた。
「ありがとうございました。」
礼儀正しくイシトがお辞儀をする。
「いや、こっちこそ、ありがとうな」
「今日のことは、忘れません────ずっと。」
「ずっと────か。────覚えてるといいな。俺も、お前も・・・・」
ふと、別れ際につぶやいたダリオの言葉。
『お前さえいれば、俺は甦るよ。いつでも────』
たとえ肉体が塵と化しても。
その記憶が失われようとも。
言葉にはならない想いが、カーシュの胸をよぎった。
TI
SENTO
失われゆく島
掠れてゆく記憶
だけど お前さえいれば
俺は甦ることができる
いつでも────
Ｆine.
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