ドキドキ編

　真っ赤な絨毯。巨大なシャンデリア。
　柱の一本一本にも細かい彫刻が施されており、王宮さえも思わせる廊下を、イシトは走っていた。
　神話を彫刻で描いた高価そうな扉を足で蹴り飛ばしながら、廊下の左右に点在する部屋部屋を片っ端に調べて行く。
「ナツ！！」
　イシトは叫んだ。
　金髪にパレポリの軍服。整った顔立ちをしているが、今は不安そうな表情が美しさを半減させていた。
　扉を蝶番が吹き飛ぶほど思いっきり蹴り飛ばし、中を覗く。
　だが、この部屋にもナツはいなかった。
　綺麗に掃除された調度品がならび、家具一式が揃っている。今まで見てきた客室と全く同じ構造の、無人の部屋だった。
「くそっ！」
　イシトは叫んだ。
　それは、普段冷静沈着なイシトからは想像も出来ないほど取り乱した姿だった。
　汗を気にする事も無く走りまわり、一時も立ち止まることなく、また次の部屋へと走る。
「隊長！」
　声がした。
　そして、廊下の向こうからは、一人のイシトと同じ軍服を着た男が走ってくる。
　だが、イシトは聞こえているであろう男の声を無視し、廊下の反対側の部屋に飛び込んで行った。
「隊長…。隊長！」
　部下が少し苛立った声をあげた。
　無理もない。
　この任務。
　国賓級の人物を相手に強行突入したのだ。
　もちろん、成功すれば最大の賛美と名声を得るし、はっきり言って、歴史に残る大任務にもなるだろう。
　だが、それは逆を返せば、証拠品を入手できなければ、軍の威信どころか、国家の威信。さらに、両国の関係さえも揺るがすかもしれない大問題なのだ。
「隊長！」
　部屋から出てくるイシトに向かって、部下がさらに大声で呼びかける。
　だが、イシトは無視した。
　無言のまま視線もやらず、廊下を駆け出す。
　鉄の入った軍靴もものともせず、全速力で走る。
「隊長！！」
　部下も後を追う。
　そして、部下は遂に号を煮やしたのか、イシトに後ろから飛びかかった。
　後ろから首に手を回し、反射的にイシトが首に手をやる隙に、左手をわきの下からさしこみ、胸倉を一気に掴む。
「隊長！！！」
　ドンッ！！
　部下はイシトの胸倉を掴むと、そのまま廊下の壁に押しつけた。そして、そのまま上に上げ、身動きできないようにする。
「隊長！！」
　部下はイシトの目を見て言った。
　イシトはまるで、今部下の存在に気付いたような驚きの表情をしている。
「隊長……………。"５"が３階で苦戦している模様で応援を要請しています。………我々も行きましょう」
　部下はイシトの瞳を真っ直ぐ見つめ、そして、静かに言った…。
　しばし沈黙が流れ、遠くの銃声だけが空しく響く。
　そして、
「……他を…当れ…………」
　イシトは静かに告げた。
　そして、部下の腕を強引に振り払うと、また廊下を走り出した。
「なっ！？……そんな！！隊長！！！」
　部下も慌てて後を追う。
　そして、また首筋に手を当て、
　ドンッ！！
　今度飛ばされたのは部下のほうだった。
　イシトは、推進力を利用し器用に回転すると、右手で部下の喉仏に手をやり、そのまま壁まで吹き飛ばす…。
「ぐっ！……」
　部下は痛そうにうめき声をあげ、首筋を撫でながらもゆっくりと立ちあがった。
　そして、そんな部下を見つめ、イシトは言った。
「いいか…。私は今回の任務に何の興味もない。私はどんなランクの任務だろうと、その任務で死んでも悔やまないと隊長に就任した時に神に誓った。だから、私はこの任務で失敗しようと戦死しようと悔いはない。だが、もしナツを助けそこなったとすれば、一生悔やんで生きて行く事になる…」
　今度はイシトが部下の目を見て言った。
　真剣に見返してくる部下の目を…。
「………今の言葉、聞かなかったことにします…」
　部下は言った。
「分かりました。隊長は不審者を追って、奥を捜索なさるのですね」
「……………………すまん……」
「いえ………」
　部下はそう言うと小さく一礼した。
「では」
　そして、そのまま今来た方へと引き返して行く。
　イシトはしばらく無言で佇んでいた。
　ただ、静かに…。
　目を閉じて…。
　自分を見極めるが如く…。
　ただ………、静かに……………。
「ナツ…………」
　そして……、呟いた…。
　手で顔を覆い、目頭を押える。
「くそっ！ナツ………、何処にいるんだ………」
　悔しそうに。
　不甲斐ない自分を責めるように、イシトは呟いた。
　その時！
「…………シト……」
「！？」
　突如耳に届いた、狂おしいほど聞きたかった声に、イシトは当りを見まわした。
　白い壁、何処までも続く廊下、白い壁、そして、また何処までも続く廊下。
　景色はさっきと何も変わっていない。
　だが、確実に聞こえた。
　待ち焦がれた。
　忘れた事はなかった。
　聞きたかった。
　全てを投げ出してでも聞きたかった、声。
「ナツッ！！！！！」
　イシトは叫んだ。
　大声で。
　廊下に声が響き、反射で妙な余韻を残す。
　そして、耳を澄ました……。
「……イシト！」
　聞こえた！
　イシトは走った。
　声の聞こえてきた方へ。
　耳に残る記憶を辿り、声の行方を辿る。
　頭の中を、さっきからナツの声だけがこだまする。
　ザッ！
　音を出して足を止めると、イシトは一つの扉の前で立ち止まった。
「……………」
　イシトはその扉の前にたち、その扉を睨みつけ呼吸を落ちつかせると、今回は蹴らずに、ゆっくりとその扉に手をかけた。
　ギィーー。と耳障りな音を立て、扉は左右に開いていく。
　そして、その扉と扉の隙間の光の中から飛び出してきたのは、紛れもなく、イシト最愛の人だった。
　肩までの黒い綺麗な髪に、大きな目。整った顔立ちの美しい女性。暖炉にでも隠れていたのか、真っ赤な服は煤に汚れていたが、それでもナツは美しかった。
「ナツ！！」
　イシトが叫び、そして走る。
　ナツは声にならないのか、目に涙だけを浮かべ、イシトに走って行った。
　そして、イシトの腕の中に飛びこむと、ぎゅっとイシトが抱きしめる。
「あぁ……。イシト……」
　ナツはうれしさのあまり声が震えていた。
　そしてゆっくりと顔を上げ、イシトの目を見つめる。
　イシトの目には、涙を流している自分の姿が映っていた。
　だが、そんな事はどうでも良かった。
　ただ単に、目の前にイシトがいる。
　この事実が無性に嬉しかった。
「ナツ………」
　イシトが呟いた。
　そして、ナツの踵が少し浮く。
　ゆっくりと瞳を閉じて行き、体をイシトに預ける。
　それに答え、イシトは優しくナツを抱きしめ支えると、そっと唇に唇を寄せて行った。
　そして………。

　そして、１度切り離された２人は、もう１度永遠に結ばれた…。