月の光１

　夜空に輝く二つの月。少し赤みを帯びたその表面の輝きを見上げ、イシトは何かに似ていると思った。彼は、アナザーのテルミナを歩いていた。海から流れてくる夜風が、潮の匂いを運んでくる。パレポリ軍に占領され、酒場も閉鎖されたテルミナの夜は閑散として寂しげだ。
「静かだ…。」
彼は何となく、この静寂を破りたくて声を発した。月光に浮かび上がるテルミナの街は、日中に見る以上に美しい。それは、夜が、ここを占領しているパレポリの醜い軍事物資を覆い隠してくれるからだろう。イシトは、少し哀しげに眉を寄せた。
　街を流れる運河を越えると、やがて階段が見えてくる。そこを降りれば、更に静寂に覆われた霊廟だ。そこに、きっと彼は居る。イシトはそう確信しつつ、ゆっくりと階段を降りた。
　霊廟。そこには軍の手もさすがに及ばず、以前と変わりない静謐な空気が流れている。その奥に、騎士ガライとダリオの墓がある。思ったとおり、そこに座り込んだ人影が浮かぶ。イシトはさすがに声を掛けるのを躊躇った。自分はそこに踏み込んで良いのか。彼を傷付けてしまうのではないのか。だが、座り込んだ人物の眼がこちらに向けられ、一瞬、赤く光って見えた。こちらに気付いたのだ。イシトは、出来るだけなんでもない様子を装って声を掛けた。
「こんなところにいたのか、カーシュ。そんなところに座り込んでいたら、冷えて風邪をひいてしまうぞ。」
カーシュは黙り込んだまま、なんでここに来たんだ、と言うようにチラリと視線を向けた。
「君も眠れなかったのか？…だからといって酒でもってわけにもいかないから、ちょっとぶらぶらしてたんだが…君に会うとは思わなかったな…。」
つい弁解するように口にしたイシトだが、本当はカーシュを案じて探していたのだ。ホームワールドで記憶喪失のダリオを見つけたのは、ほんの数日前のことだ。彼とダリオに、様々な事情があったのは耳にしている。今日、亡者の島を訪れ、記憶を取り戻す鍵となる品を手に入れたが、その際、やはりカーシュがダリオの死に関係しているらしいことが明らかになった。だが、誰もそれを問いつめようとはしない。その出来事が、いつもは快活なカーシュに暗い影を落としているのは誰の目にも察せられたし、誰もがカーシュを信頼していた。
　カーシュは単純で、豪快で、だが、気の良い人間だ。自分の過ちを認める勇気のある男だ。カーシュが、もし本当にダリオを手に掛けたのだとしたら、それはそうするしかなかったからなのだと、彼を本当に知る人間は信じることが出来る。イシトもまたその一人だった。本来敵同士の関係だ。手酷い言葉も投げつけられた。だが、共に戦う中で、彼のぶっきらぼうでさりげない気遣いも優しさも、他の仲間たちに対すると同じように、次第に自分にも向けられた。口には出さないまでも、イシトはそれをうれしく思っていた。
　「フン…。」
カーシュは、判ってる、と言うようにちょっと頷いて鼻で笑った。この件で、仲間たちが腫れ物に触るように自分を見ているのを彼は知っていた。誰も訊かない。誰も咎めない。その事が、うれしくもあり、彼を苦しめてもいた。カーシュは俯いたまま、苦笑した。
「おまえのこと、パレポリの犬、なんて罵っておいて…言えた義理じゃねぇよな…。」
カーシュはそう呟いてから、月をふり仰いだ。
「…きれいな月だ…。何もかも、見通してるみたいな…。」
掛けるべき言葉を見いだせずに立ちつくすイシトに、カーシュが、口をへの字に歪めて笑い掛けた。
「…おまえも座れよ…いやでなければな…。聴いてくれるか？居合わせたのが不運だと思ってさぁ…。」
イシトは黙ってカーシュの隣に並んで座った。カーシュは、呟くように話し始めた。

続く