ほの暗き海に眠れ・番外

　「明後日のエルニド行きの船を手配した。そのつもりで荷物をまとめておけ」
パレポリ国賓用ホテルの一室。豪華なその部屋のベッドに寝そべるカーシュを前に、イシトは事務的に言い放った。
「…人を呼びつけておいて、用が済んだらサッサと帰れってわけか…」
ベッドに身を起こし、口をとがらすカーシュに、イシトはムッとした様子で言った。
「パレポリなどもうたくさんだ、早くエルニドへ帰せと、さんざん喚いていたのは、どこの誰だったかな…」
カーシュは軽く頭を掻いたが、すぐに開き直った調子で鼻を鳴らした。
「フンッ。『エルニド麻薬密輸容疑』が晴れたのはいいが、密輸組織を壊滅させるまでは襲撃の危険があるとか言って、どこへも行かせやしねぇ。クサるのもあったりまえだろうがっ」
「この件に関しては、パレポリ上層部も、エルニドや蛇骨殿に対して公式に謝辞を表明したし、蛇骨殿の名代としてここにいる君にも、こうして安全を確保し、国賓級の扱いをしている。文句を言われる筋合いはない」
イシトはピシャリと言った。
「たってよぉ…パレポリにだって、遊べるとこくらいあるだろう？　俺、パレポリに来て、ほんとにどこへも行ってねぇんだぜ？　なぁ、おまえも、旧友に酒おごるくらいのこと、したって良いだろ？」
カーシュの泣き言にも、イシトは冷たい。
「…誰が旧友だ？」
「あ！　そう言うこと言うのか、おまえ…」
カーシュはベッドを降りてイシトのそばに立った。
「何も、遊びに連れてけってんじゃねぇんだ。ここのバーで良いんだからよぉ…」
イシトはカーシュに背を向け、肩をすくめた。
「君と一緒の所を、誰かに見られるのはまっぴらだ」
カーシュはさすがに傷ついたような顔をした。
「…そんなに俺が嫌いかよ…」
「嫌いだとは言ってないだろう！　子供じみたことをメソメソ言うな！」
イシトは振り向いて、少し気が咎めたのか言い訳めいたことを口にする。
「かつて敵対したエルニドの名代である君と、個人的に親しいと思われるのは、特殊部隊の隊長として、立場上問題があるという事だ」
カーシュはやれやれという調子で、大きなため息を吐いた。そんなカーシュの様子をチラリと窺い、イシトはぶっきらぼうに付け足した。
「明日午前１１時に、部下の"１（アイン）"と"２（ツヴァイ）"がここに迎えに来る。パレポリ最後の一日、せいぜい楽しむんだな…」
カーシュが驚いた様子でイシトを見返す。
「…良いのか？　おまえの部下だって、立場上、俺と親しくしちゃまずいんだろ？」
イシトは表情を崩さず、あくまで事務的な言い方を保っている。
「彼らは明日は休暇だ。休暇中、個人的に何をしようと、私の知るところではない」
「チッ、粋なことしやがって…」
カーシュは口をへの字に歪めて、ニッと笑った。
「しょうがねぇな。おまえのおごりで飲むのは我慢してやる」
カーシュはベッドの下に手を入れ、ごそごそと何かを取り出した。手にしていたのは、パレポリ名物ハイパー酒だ。
「ここでなら、誰も見てねぇからいいんだろ？　一杯やろうぜ！」
「…どこへも行ってないとか言って、どこでそんなものを手に入れた…？」
イシトがカーシュを睨む。だが、カーシュは平然としてテーブルにグラスを並べている。
「"６（ゼクス）"の差し入れ！　密輸組織が捕まるまでは、あいつ、ここで警護に就いてただろ？　それが無くなって、一人じゃ退屈だろうしって。なかなか気の付く、良い部下を持ってるな、おまえ」
「…私の部下を手なずけるなと言っただろう！」
イシトの剣幕も、カーシュは意に介さない。
「人聞きの悪い言い方すんなよ。長いこと一緒にいれば、仲良くなって当然だろ？」
カーシュはテーブルの前の椅子に腰を下ろして、自分のグラスに酒を注いだ。
「あ、おまえも座れよ。大丈夫。酔いつぶれたら"６"が使ってた簡易ベッドもあるし、泊まってったって良いんだぜ」
「バカ！　誰が泊まるか！」
イシトはプイと横を向いた。
「明後日、見送りくらいは行ってやる」
イシトは椅子の背に掛けておいた上着を取って、ドアに向かった。
「…帰るのか？」
カーシュの問いに答えもせず、イシトは上着を勢いよく右肩に掛け、左手をドアに伸ばした。
「…また、エルニドに来いよ…きっと」
その背に投げかけられたカーシュの声に、イシトはドアノブに掛けた手を止めた。グラスを口に運びながら、カーシュが静かに続ける。
「エルニドにいた頃のおまえは、もう少しいい顔してたぜ…」
カーシュに背を向けたまま、イシトは軽く口をとがらす。束の間、考えるように目を伏せたイシトはクルリと向きを変え、カーシュの向かい側に置かれた椅子にどっかりと腰を下ろした。上着を再び椅子の背に掛け、空いているグラスをカーシュの前に差し出す。
「…一杯だけだぞ」
カーシュから目を背け、あくまでも不機嫌そうに言うイシトのグラスに、カーシュは口元に笑みを浮かべ、黙って酒を注いだ。満たされたそのグラスに、カーシュはカチンとかすかな音をたてて自分のグラスをぶつける。イシトは無言のまま、そのグラスを口に運んだ。

友情と呼ぶには、互いに違いすぎて、
それでも君といると、どこかが暖かい。

会わなければ忘れていられるのに、
会えば、自分が凍えていることに気付く。
君はエルニドの太陽のように、
頑なな私を溶かしていく。

だから会いたくなかった…。

パレポリでは、許されない暖かさ。
これからもパレポリで生きる私に、
束の間の太陽は、毒なのだから。

Ende．