頭文字Ｌ

　報告：二月八日分。ヤマネコ、蛇骨館内に動きはなく、凍てついた炎に関する情報にも進展はない。
　午前０時頃、バルコニーにて三人の侵入者を発見。名前は呼び名でキッド、セルジュ、アルフ。現地人の泥棒か何かだろう。偶然居合わせた蛇骨大佐令嬢リデルが三人を殺害、大事には至らず終わる。

　そこまで書いてイシトはペンを持つ手を止めた。
（殺害…　潮の流れの強いこの場所からなら、一日しか経っていないとはいえ、もうそろそろ死体が発見されてもおかしくない頃だ。しかし、そんなニュースは全く聞かないし、代わりに流れているあの噂…）
　イシトは今朝の兵士達の会話を思い出した。
（“L knows nothing”…　夜警にも見つからずに一晩でテルミナ中の壁に？　非現実的な考え方をすれば、まるで彼女に殺された三人の亡霊の復讐のようだな。“L”…　“リデル”…　“リデルは何も知らない”…）
　そこまで考えて、彼は思いついた。
（いいネタになるかもしれないな。エルニドで絶大な支持を誇る蛇骨大佐の令嬢が殺人を犯したなんて、騎士達の士気を落とすのにこれ以上ない最悪のスキャンダルだ。本国から蛇骨館制圧の命令が下ったときのために、彼女には何が何でも殺人犯になってもらわなくてはならない。それには…）
　彼はまた考え込んだ。
（証拠が少な過ぎる。壁の落書きの話だけでは非現実的すぎるし、何より、意味が分からない文章に対しては何を言ったってただのこじつけだ。かといって私が騒ぐわけにもいかないし、私の代わりに彼女の犯した罪の示唆であるかのようにあの落書きの意味をこじつけて、彼女を追い詰めることが出来る人間が必要だ）
　イシトは再び朝の食堂を思い出した。夕べのお嬢様といい、今朝のニュースといい、関連性があるとしか思えないんだよな。皿を下げた時に聞いた言葉だ。四天王カーシュと一緒に食事をしていた人物。あの灰銀の髪の男は…
（騎士ダリオの弟グレン。なんとか彼に近づく方法を考えてみよう）

　リデルは自分の行動の軽率さを悔やんだ。朝、兵舎の食堂に行ってみたのは、昨夜の自分に関する噂が流れていないかどうか確認したかったためもあったが、大部分の理由は要するに、いてもたってもいられなかったからだ。
（いつもしないことを昨日の今日でするなんて、怪しんでくださいって言ってるようなものじゃないの。でも、死体が上がったという噂がなかったのは確認したわ。明日以降なら、もし上がっても私の指紋は消えてしまっていることでしょう）
　彼女は、その代わりに聞いた変な噂を思い出した。
（“L knows nothing”…　“L”って私のこと？　私が何も知らないってどういうことなの？　彼等がやったのかしら。だったら、彼等が生きているってことになるわ）
　そこまで考えて、リデルは頭を振った。
（考え過ぎよ。過敏になっているんだわ。落書きなんて、ただの悪戯じゃないの。それより、目下最大の問題は…）
　彼女は再び朝の食堂を思い出した。俺はリデル様を疑ってるんじゃなくて、心配してるんだよ。カーシュの後ろ姿を見つけたときに聞いた言葉だ。彼と一緒に食事をしていた、あの聞き慣れた声は…
（グレン。やっぱり私を怪しんでたんだわ。確かにあの子はカンが鋭いし、頭も悪くない。昨夜私に屈託無く笑ってみせたのも様子見だったのね。なんとかしなくてはいけないわ）

「終ー了ぉーっ！」
　夕日も沈んだ頃、グレンは自宅の芝生の上に寝転がった。カーシュはグレンの上に散々汚れたぞうきんの束を落とそうとしたが、グレンは寸前で寝返りをうって避けた。
「てめえ、自分ん家が終わったんなら手伝えよ！　俺ん家の壁はまるで差別でもされてんじゃねーかって悩むくらいの汚れっぷりなんだぞ!?」
「だから、白いペンキで塗ればいいんだよ。俺ん家は木造だからそういうわけにもいかないけど、カーシュ兄ぃん家は簡単じゃないか」
「やろうとしたら、親父に怒られたんだよ！『ここまでひどく落書きされるなんざ、お前が部下に恨みでも買ってんじゃねえか？　一人で消せ』とか言いやがってよ！　お袋にも手伝うなって釘刺すんだぜ!?　だからお前が手伝え！」
「じゃあ、俺もザッパのおじさんの言うこと聞いて、カーシュ兄ぃの手伝いはしないことにするよ。先に蛇骨館に帰ってメシ食ってるから」
　グレンは立ち上がって歩き出した。背後でカーシュがなにやら怒鳴っていたが、聞いていないふりをして後ろ手に手を振る。
（疲れた。消すだけで一日かかった。迷惑もいいとこだ。でも、おかしいよな。いくら夜だからって、夜警の兵がいるはずなんだ。見つからずに一晩で街中にこれだけ、普通は書けないよな？　大勢でやったら当然目立つし）
　グレンは更に考え込んだ。カーシュの怒鳴り声ももはや聞こえなくなっていた。
（それに、あの文字…　“L knows nothing”？　“L”は何も知らない…　だめだな、“L”がお嬢様のことだなんて確証はどこにもないのに、なんかどんどん悪い方へ考えが向いてきてるぞ）
　グレンは自分が歩いているのだということを忘れる程考え込んでいた。彼が我に返ったのは、左肩に鈍い衝撃が走ってからだった。
「あ…　悪い」
　彼は自分にぶつかって倒れ込んだ少年に手を伸ばした。
「…別にいいよ」
　少年は無愛想にグレンの手を無視して自分だけで立ち上がり、埃を落として帽子と眼鏡を直すと、街外れの豪邸の方にとっとと歩いて行ってしまった。
（…ま、何にしても）
　グレンは少年の背中を見送ると、軽く溜息をついてまた歩き出した。
（俺は自分のやるべきことをやるだけだ。真実を理解した上でリデルお嬢様をお守りすること。それにはやっぱり、ちゃんと真相を突き止めないとな）

to be continued…
　
　