頭文字Ｌ

「やっぱ俺って天才なんじゃねぇか？　お茶」
「そうは思わないよ。だってまた失敗しそうだもん。僕にもお茶」
「そうだな、他のルートを探す方が賢明だ。俺にもだ」
　バンクリフは三人分のティーカップを迷惑そうに受け取った。一昨日だったか、びしょ濡れの彼等が真夜中に尋ねてきて、誰にも言わずに泊めてくれと彼に頼み込んだ。誠意で泊めてはやったものの、三人は何故かそのまま居着いてしまったらしく、ご主人様よろしくアゴでバンクリフをこき使う。特に、男言葉を使う赤い服の少女の態度は不必要なまでに大きかった。
（いつになったら出てってくれるのかな。なんか、仮面の人とかいて見るからに怪しいし、犯罪者を匿ってるみたいで僕は嫌なのに）
「噂は聞いただろ？　俺達が侵入に失敗した次の日の朝、街中に変な落書きがやたらといっぱいしてあったそうじゃねえか。“L knows nothing”だっけ？　それを消すために館にいる騎士はみんな出払ったって話だぞ。つまり、侵入のチャンスってわけだ」
（ほらほら、“侵入”とか言ってるし。やばい人達なんだよ絶対。特に金髪の女の子、結構ムカつくし）
「それで、今度は僕達による落書き大作戦てわけ？　ねえ、頼むからやめようよ。夜警の兵だっけいるしさ、絶対見つかるって」
（このバンダナのお兄さんは普通っぽいけど、こんな人達と一緒にいるんだからまともなわけないな。きっとこの人も変な人なんだ）
「大丈夫だって！　あれ書いた奴は見つかんなかったんだぞ？　俺達だって楽勝じゃん。今度こそ成功するって！」
（武器屋の隣の家にダリオさんの弟住んでたっけ。あの人も騎士なんだよな。この前ぶつかって転ばされたときに言えばよかった。『うちに居候してる変な人達をお願いだから捕まえてください！』）
「それに、あの落書き書いた奴、俺達がリデルに落とされたのを見たんじゃねえか？　“L”はリデルのことなんだよ。あれ書いた奴は多分俺達の味方だぜ。俺達が頼めばもう一回やってくれるかもしれねえぞ」
「…そうかなあ…」
（この人達変な上にバカなんだな。蛇骨館のリデル様の名前は“L”じゃなくて“R”から始まるんだよ）
　バンクリフは注れ直したお茶を三人に配りながらそう思ったが、なぜこの少女達がリデルに、そしてどこから落とされたのかは考えなかった。

　牢番の兵の緊張を肌で感じ、イシトは顔を上げた。鉄格子越しに兵達が敬礼のポーズを取っているのが見て取れる。その向こうから歩いてくる人物の姿を見て、彼は顔に出さずにほくそ笑んだ。
（グレンと親しい四天王カーシュ。私の話は通ったようだな。グレンと一緒でないのが意外だが、せっかくだから彼にも一役買ってもらおう）
　イシトは立ち上がって大声を出した。
「ああ！　あなたは私を捕まえた人！　やっと誤解だって分かったんですね!?」
　カーシュは怒っているような、焦っているような、複雑な表情をしていた。イシトは彼に何があったのか推測したかったが、単なる想像になりそうなのでやめておいた。情報のない思い込みは危険だ。
「お願いします、早くここから出してください！　私は何もしていないのに、こんな所もう耐えられません…」
「ああ、出してやるよ。取調室に連行しろ」
　カーシュは周りにいる兵に命令した。怪訝な顔をするイシトの前で鉄格子の扉が開かれた。
（なんだ？　ただの尋問ではないのか？　取り調べはてっきりリデル嬢からストップがかけられているものと思っていたが…　私の容疑を決定づける証拠を手に入れたか、リデル嬢がまた私を陥れる新しい策を用意したか…）
　牢の中に入って来た兵に足枷を外されながら、イシトは思った。
（それか、彼自身の意志による造反かだ。まあ、どれにせよ、私の話を直接吹き込むチャンスには変わりない。存分に生かそう）
　イシトには自信があった。グレンは彼の話を少なからず信じている様子だったし、殺人を犯したのはリデルだからだ。ただ、こちらを複雑な表情で見つめるカーシュが何を考えているか分からなくて、少しだけ不安を覚えるのもまた事実だった。

（分かってるよ。否定するつもりもない。俺はリデルお嬢様のことが好きだ）
　グレンは一生口にするつもりはなかったことを今更のように自覚した。彼は混乱していた。信じられないことに今、彼はリデルの方から求められている。彼女の顔との距離がほとんどなくなっても、グレンは何も言えず、動くことも出来なかった。
「お願い…　私を一人にしないで…」
（でも、いくら好きでも俺は兄貴の弟だぞ？　嫌いだったらはね除けられたのに、どうしたらいいんだよ）
　リデルが目を閉じた。
（嫌いだったら？　…何バカなこと思ってんだ。男なら誰だって彼女に惚れるに決まってるじゃないか）
「おーい、いるのお？」
　いきなり部屋の外から響いてきた声に、グレンははっとして我に返った。それはリデルも同じだったらしく、彼女は素早く上体を起こしてグレンから離れた。グレンはほっとしたが、少し残念にも思った。
「入っちゃうよ？　いい？」
「いいわ。どうぞ」
　リデルは何事もなかったかのように言った。その豹変ぶりは、グレンの混乱が残る頭にさえおかしいと思わせた。
　部屋の中空からツクヨミが現れた。
「いいこと教えたげよっかと思ってさ。お邪魔だったかなあ？」
　ツクヨミはグレンの顔を覗き込んで楽しそうに笑った。
「なんだよ」
「だって、グレンの顔真っ赤なんだもん。ね、いいことあったでしょ？　あたいにだけ教えてよ」
「うるせえな！　なんで俺が…」
「何か報告があるのでしょう？　ツクヨミ」
　リデルが完全に令嬢の顔に戻ってむきになるグレンを遮った。その態度にさえ、ツクヨミは楽しそうだった。
「お嬢様、なんか隠してることあるでしょ」
　リデルは極力表情を変えないように努めた。
「もちろんあるわ。誰にだってね」
「無理に言わなくていいよ。あのね、蛇骨館の正面玄関見てきてごらんよ。今、ちょっと面白いんだ」
「面白いって？」
「ひ・み・つ！　じゃあね♪」
　ツクヨミはまた唐突に宙に消えた。なにがなんだか分からないリデルとグレンは顔を見合わせた。グレンはさっきの事を思い出し、また赤面しながら慌てて目を逸らしながら立ち上がった。
「俺、見てきます」
「待って、グレン」
　グレンはなんとなくぎこちない動作でリデルの方を向いた。
「あなたが受け入れてくれなくてもいいの。でも、あれが私の本心よ。忘れないで…」
　グレンはリデルに深々と一礼すると、足早に部屋を出て行った。

（邪魔が入ったけど、かえってよかったかもしれない。あれで彼はかなり動揺したはずだわ。今の彼には、何を言っても馬の耳に念仏でしょう）
　リデルはそんなことより、ツクヨミの言ったことの方が気になった。
（“お嬢様、なんか隠してることあるでしょ”。あの子は苦手だわ。どこまで知っているのか分からないもの。でも、深く関わるようなことをしなければ、放っておいても平気でしょう。玄関に何があるのかは気になるけど…）
　リデルには自信があった。自分には他からの絶対的な信頼という武器があるし、容疑者はあのコックだからだ。ただ、まだ予想もつかない事態が待ちかまえているような気がして、かなりの不安を覚えるのもまた事実だった。

to be continued…
　
　